飲んだくれ親父の脳脊髄液減少症克服日記

30代後半で脳脊髄液減少症になった親父による発症から治療・完治までの記録。保存的治療による改善経過を中心に記載。

おわりに

 この記事を書いている時点では、ほぼ99%くらいまで治ったものの、まだ完全に回復した状態ではない。ただ、正体不明の頭痛に苛まれ、先も見えず、暗澹たる気持ちが頭の中を覆っていた時期から考えると、その原因が判明し、様々な知識を吸収していく中で、自身の現在の状況が分かるようになり、その先にあるものも見えるようになってきた。

 健康であること、体に異常がないこと、自由に動き回れること、というこれまでごく当たり前だったことがある日突然制約され、精神的にも追いやられてきたが、回復した今となっては、これらのことが本当に幸せであると実感する。これまでの人生を振り返ると様々な不摂生や無理を行ってきたが、まもなく厄年を迎え、自身の体とのつき合い方を見直すよい機会になった。

 そもそも、脳脊髄液減少症の存在自体が注目されたのもこの10年〜15年ほどの間であり、それまで様々な病院を転々としながら病因も分からず苦しんできた人が多くいたことを考えると、本当に胸が痛む。一方、現在は、本やインターネットで様々な治療法や体験談等が記載されており、私自身も病院のベッドで横たわっている中で、これらの情報がどれほど参考になり、励まされたことだろうか。一方で、冒頭にも記載したようにこれらの情報は、ブラッドパッチをはじめとして主に症状が比較的重い人の情報が中心であった。これらの人々に比べれば私自身の症状は幸いにも軽いものではあったが、一方で、「本当にベッドで寝ているだけで治るのだろうか」「本当に治っているのだろうか」といった不安が常につきまとっていたのも事実である。おそらくは保存的療法で治癒した人の多くはそのまま社会に復帰できたことからわざわざ体験談を本やブログに起こしたりすることも少なかったものと思われるが、私と同程度の症状で保存療法を行いながらも不安を抱いている人も数多くいるものと思われる。本記事がそういった方々に対して、参考となり、せめてもの心の救いとなればと思う。

 

 

平成28年10月