飲んだくれ親父の脳脊髄液減少症克服日記

30代後半で脳脊髄液減少症になった親父による発症から治療・完治までの記録。保存的治療による改善経過を中心に記載。

これまでを振り返って

 脳脊髄液減少症を発症し、1ヶ月にわたる入院と自宅療養で職場から離脱することになり、何とか復帰までこぎつけたわけだが、回復にあたっては大きく以下の三点が功を奏したものと思われる。

 

①早期の受診と入院

 私の場合、頭痛が発症して一週間後に訪れた段階では、症状が特定できず、1ヶ月後に検査を行った結果、即入院となった。当初は脳脊髄液減症とは知らず、くも膜下など他の病気かと思っていたが、インターネットで症状を検索し続けた結果、特定でき、その後、医師の診断でもそれが裏付けられる形となった。特にこの病気が社会に広く認知されるまでは、病院を特定できず、様々な病院をたらい回しにされたり、精神科にかかる人も多かったと聞く。本記事を見ている方は既に症状が特定されている段階にある人が多いと思うが、原因不明の頭痛に襲われた場合には、安易に市販の薬に頼るのではなく、なるべく早く専門医の受診を受けることが重要かと思う。

 

②とにかく絶対安静

 入院当初は、ベッドにずっと寝ているのが億劫で、症状も特段なかったので、トイレに行ったりコンビニに行ったりしていた。しかしながら、入院5日目に強度の頭痛を経験して以来、二週間は絶対安静を心がけるようにした。入院前、医師から「きちんと安静にするのであれば、自宅でもかまわないが、絶対に無理なので、入院をすべき。とにかく治療に専念しないとこの病気は治らない」と言われた。確かにその通りだと今振り返ると思う。とにかく食事のときとトイレ以外は動かずに横になる。これは、病院でないと難しい。実際、一時退院をしたときには洗濯をしたり食器を洗ったり、宅配物が届いたりと、何かと安静でない時間が発生する。

 

③情報収集が精神安定の一番の薬

 何週間もベッドでの生活を続けていると、「本当に治っているのか」「再発しているのではないか」など不安が頭を離れることがない。そんなときに心の支えになったのが、本やネットでの情報収集だ。特に保存治療については、情報が少ないため、様々な経験者の体験談ブログや、ブラッドパッチ後の経過なども見比べながら、自身が今どういう状況にあるのか、ということを常に把握するように心がけた。症状はいったりきたりする。ずっと調子がよいと思っていても、数日、数時間でまた症状が再発するような気になるときもある。そんなときに、他の人の体験談は貴重な情報源となる。今回、筆無精の私がこの記事を書き、広く公開しようと考えたのも、こういった不安に苛まれた人たちにとって少しでも心の支えになればという思いからである。