飲んだくれ親父の脳脊髄液減少症克服日記

30代後半で脳脊髄液減少症になった親父による発症から治療・完治までの記録。保存的治療による改善経過を中心に記載。

はじめに

 「80歳の人の脳です」

 

 脳神経外科の診察室に入ると、医師が先ほど撮ったばかりのMRI画像を注視している。片方の手に持ったPHSで他の医師と話をしているようだ。PHSを切ると私の方を向き、医師から宣告。

 

 「えっ?」まだ38歳の私。

 「直ちに入院してもらう必要があります。」

 「来週、海外出張が入っているのですが・・・」

 週明けの愛知県への出張、その後の東南アジアへの出張・・・。いやいや、それよりも、明日予定されている諸々の案件。いろんな事が渦巻く中で精一杯返答するのが精一杯。

 「そんな状態ではありませんよ。脳脊髄液減少症です。このまま放置すると意識障害が起こります。職場の都合とかも色々とあるでしょうが、一刻の猶予もありません。仕事の調整した上で明朝来てください。明日改めて専門医に再度診断してもらう必要がありますが、少なくとも1〜2週間は入院になると思います」

 

 まさかまさかの即時入院・・・。

 医師から宣告を受けるまでは、それほど重い状況とは思っていなかった。頭痛は一ヶ月ほど前から続いていたものの、この数日は治まっていたからだ。

 

 その翌日、脳神経内科の専門医の診断を受ける。

 「選択肢はありません。今日から3週間程度、入院してください。」

 その日から3週間の入院生活、その後自宅療養1週間と、約1ヶ月にわたり、職場からの離脱を余儀なくすることとなった。

 

 これまで、40年近く生きてきて、入院したことは今まで一度もなく、また入院することなど遠い将来のこととしか考えていなかった。仕事も15年間、とにかくがむしゃらに続け、休むことなんて頭の片隅によぎることさえなかった。そんな生活が脳脊髄減少症という病で一変することになる。

 

 とにかく病室で天井だけを眺める三週間。この病気について、本やネットなどを通じて、とにかく情報を集めていく中で、この病気にこれまで多くの人が苦しみ、この病気と長い時間をかけて戦ってきたことを痛感した。私の場合は、かなり初期の段階で医師から宣告を受けたため、早期回復を図ることができたが、十数年前まではその病気の存在すら知られておらず、色々な病院をたらい回しになった人も多くいたと聞く。

 

 現在は、ネットでその用語を検索するだけで、検査や治療法、体験談など様々な情報にあたることができる。私自身も回復途上にあるときには、常に不安に苛まれ、同じ症状の人や現在の状況などを知りたかった。特に、本症状は重くなってから発見されることが多く、ブラッドパッチという比較的症状の重い方への治療法やその後の経過等が記された本やネット情報が多い。一方で、私が受けた保存療法は、2週間の間、一日23時間は横になった状態で回復を待つという比較的軽微な状況で受けるものであったが、本やネットではその回復状況に関する経過や体験談に関する記述が乏しく、常に不安な状態が続いたのは事実である。

 

 潜在的には年間10万人が発症し、苦しい思いをしているという「脳脊髄液減少症」について、発症から治療までの経過、特に、ネットや本などでもあまり知られていない保存療法の経過を記録することで、少しでもこの病気に苦しんでいる方々にとって役に立つことができればと考えている。