飲んだくれ親父の脳脊髄液減少症克服日記

30代後半で脳脊髄液減少症になった親父による発症から治療・完治までの記録。保存的治療による改善経過を中心に記載。

脳脊髄液減少症について

 脳脊髄減少症とは、「脳脊髄液腔から脳脊髄液(髄液)が持続的ないし断続的に漏出することによって脳脊髄液が減少し、頭痛、頸部痛、めまい、耳鳴り、視機能障害、倦怠など様々な症状を呈する疾患」とされている。(脳脊髄液減少症ガイドライン2007)

 その原因として、この分野の第一人者である篠永先生の著書では以下のように紹介されている。「我々の脳は無色透明の脳脊髄液に浮かんでいる。その脳脊髄液が、頭部から脊髄までにわたって入っているが、何かの拍子にその一部が破れると、脳脊髄液が流出し、それに伴い脳が下に落ち込むことから硬膜が引っ張られ、頭痛などの症状が生じると言われている。また頭痛以外にも、頸部痛やめまい、視力障害、吐き気、だるさ等、多彩な症状が持続することや、起きていると症状が悪化し、横になると軽快する傾向があること、天気が悪くなる前に症状が悪化することが多いことなどが挙げられる。」(篠永正道著、脳脊髄液減少症を知っていますか、西村書店、2013年)

 原因としては、「(1)交通事故によるむち打ち、(2)全く不明、(3)スキー等のスポーツにて、(4)むち打ちの自覚も診断もなり交通事故、(5)転倒し、頭部を強打、(6)整体師の施術ミス、(7)お産、(8)満員電車通勤での腰部の過負担」(吉兼健一著、脳脊髄液減少症、創風社出版、2008年)などがあるそうだが、私自身の病状について言えば、そもそも原因自体も定かではない。

 私自身に関して言えば、思い返すと、症状が初めて出た海外出張前に、比較的筋トレを強めにしていたときに、首のあたりに違和感を感じていたことや、子供に逆上がりの手本を見せたこと、マッサージとしてうつぶせになって6歳の次男に背中を足踏みさせたことなどが首から腰にかけて負担のあった症状として考えられるが、突発的になる人やくしゃみでさえこの病気になってしまう人もいるらしく、医師にも筋トレの件など話したが、なぜ起きたのかは分からないままである。

 また、私が体験した症状については、後ほど詳述するが、海外出張に行った日から頭痛が生じ、その後、文字が黄緑色に見えたり、耳がトンネルに入ったときのような状態になるなど、これまで経験したことのない症状が次から次へと生じた。一方で症状に波もあり、落ち着いているときにはほとんど症状がないのだが、あるときにまた症状が復活するという状態を繰り返した。

 当初は病院に行っても病因がわからず、私自身は、くも膜下出血を疑ってはいたものの、この病気があると知ったのは発症後1ヶ月経ってからであった。

 実際には、はじめにも記載したとおり、病院で頭部のMRI検査を行い、硬膜が通常の10倍近くに肥厚していることや、起きているときに頭痛が生じるなどの症状から、医師により「脳脊髄液減少症」と診断され、即時入院することになった。

 脳脊髄液減少症の治療法としては、大きくは、①保存的治療(保存療法)と、②硬膜外自家血注入(ブラッドパッチ治療)があり、早期の場合には「保存的治療」で多くの人が改善することが分かっている。

 ②の「ブラッドパッチ治療」は①の「保存的治療」で改善が見られない場合に、自身の血を破れている箇所に注入することで、血が糊の役割を果たし、その箇所を埋めるという治療法であり、この治療法が保険適用を受けることができるようになったのは、私が入院する4ヶ月前の平成28年4月からである。それまでは、高額な治療費にも関わらず、多くの人が何回も治療を続けていたと聞くと心が痛む。

 私の場合は、この二つの大きな治療法のうち、発症してから早期だったということもあり、①の「保存的治療」で治療を行うことになった。

 この「保存的治療」は、先述のガイドラインには約二週間の安静臥床と十分な水分摂取(補液または追加摂取1000〜2000ml/日)とされているが、とにかく二週間は、入院して、食事とトイレ以外は1日23時間横になり、点滴を一日4本打つ。これが、私が医師から指示された治療法であった。

 人によって症状も様々であるし、治療による効果がでる時期や症状も様々であると思うが、本記事では、私自身が経験した保存的治療について、その経過をなるべく丁寧に記載してきたつもりである。以下に発症から入院、そして退院後の生活まで詳細に記載をしてきたが、同様の症状で苦しむ方にとって少しでも参考になればと思う。