飲んだくれ親父の脳脊髄液減少症克服日記

30代後半で脳脊髄液減少症になった親父による発症から治療・完治までの記録。保存的治療による改善経過を中心に記載。

【入院13日目】〜頭部MRI検査〜

 朝から頭部のMRI検査。造影剤を入れる前と入れた後の2回MRIを撮る。症状もかなり改善していたので、もしかしたら、硬膜もかなり元に戻っているのではないか、と期待していた。

 しかし、検査結果をみた医師から「画像を見たが、前回が10とすると9か8くらい。ただ、症状と画像の時期がずれるのは仕方ないので、長い目でみるしかない」とのコメント。

 ここ数日調子も良かったので、入院後2週間で退院、3週間後に復帰、というイメージを描いていたが、医師より「当初の予定通り3週間で退院とするが、その後は安全をみて自宅療養1週間。それより早く職場復帰するのもかまわないが責任はとれない。私としては少なくとも1週間は自宅療養が必要と考える。」とのコメント。

 早期退院を期待していただけに、ショックが大きく、2、3時間放心状態になる。ただ、いつまでも考えていても仕方ないと気持ちを切り替え、職場の上司や関係者に現在の状況をメールすると「見切り発車は禁物」と温かいメールをいただく。「確かにそうだ。中途半端に治療して再発すると更に職場や周りに迷惑をかけるのだから、ここはじっくり行こう」と心を新たにする。それまではとにかく早く退院することを目標にしていたが、医師の言うとおりにすることに。

 併せて、医師から、「かなり症状が治まってきたので、点滴を減らしていきましょう」とのコメントも。改善の兆しははっきり見えてきていることは確かだ。点滴の針が入院時よりずっと刺さったままであったため、その針を刺す場所を交換する。