飲んだくれ親父の脳脊髄液減少症克服日記

30代後半で脳脊髄液減少症になった親父による発症から治療・完治までの記録。保存的治療による改善経過を中心に記載。

【発症4日目】〜耳閉感のはじまり〜

 頭痛は比較的軽微な状態。ホテル近くの広場付近まで20分ほど散歩する。朝食、チェックアウトを済ませ、車で用務先へ向かう。

 途中、スーパーで休憩をしたところ、店を出たところで耳が塞がった感覚にとらわれる。周囲は、ほぼ全て平地といっていいほど高度差もない場所。もちろんトンネルを通ったわけでもない。トンネルに入ったときの倍近く、いや、数倍、ふさがった感じにとらわれ周りの会話が遠くに聞こえる。自身もなんとか話をするが、かなり遠くで話しているようにしか聞こえない。しばらくしてから症状が落ち着くが、頭痛が続く。

 前日の文字が黄緑に見えたことといい、尋常ではない状況であることは変わりない。さらには第三の訪問都市に向け、8時間ものフライトが待っている。不安が頭をとぎれることはない。

「ここでリタイアしても言葉も通じない病院で果たしてまともな診察を受けられるのであろうか」

「次の都市になると更に医療事情が悪くなるのではないか」「でも次の都市までいけば、あとは日本もすぐ近くなので、何かあればそちらの方がよいのではないか」

「飛行中に症状がひどくなった場合どうしようか」

 様々な雑念を感じながら、また、度重なる車の揺れにひどくなっていく頭痛を感じながら、車内で話をして少しでも気を紛らわせつつ、次の訪問地へ。

 ここでは、32階の展望フロアからロシアの町を見渡す。そもそも平坦な町の中にある小高い丘に設けられた敷地。その展望台から見えるのは360度地平線の世界。迫り来る頭痛と体験したことのない世界が、「この景色が脳に刺激を与え、頭痛が生じているに違いない」といった根拠のない解釈で自身を納得させようとする。

 用務を済ませた後、19時に第二の訪問都市の空港を発ち、最後の訪問都市へ向かう。頭痛が止まらない。かといって、ここまで来たら引き返せない、這ってでも日本に帰るという思いで飛行機に。

 飛行機は、昔の日本製の2階建てジャンボを航空会社が買い取ったもの。トイレ等の入口の標記は日本語のまま。近年の飛行機と違って座席の幅も狭く、超満員。ほとんど座席もリクライニングできない。しかも横にのった外国人がかなり体格の立派な人で、私の座席も三分の一くらい取られる。さらに話し好きのため、携帯の写真を見せながら、あれこれと分からない言葉で話しかけてくる。少しそれで気をまぎれたこともあってか、なんとか8時間のフライトをうとうとしながら、頭痛も軽微な状態で乗りきる。