飲んだくれ親父の脳脊髄液減少症克服日記

30代後半で脳脊髄液減少症になった親父による発症から治療・完治までの記録。保存的治療による改善経過を中心に記載。

【入院1日目】〜入院生活〜

 翌朝、脳神経内科の専門医の診断を受ける。妻も診断結果を聞きたいということで急遽仕事を休んで一緒に病院へ。

 「選択肢はありません。今日から3週間程度、入院してください。脳脊髄液減少症です。とにかく入院中は食事とトイレ以外は寝て安静に過ごすこと。」

 その日から3週間の入院生活、その後自宅療養1週間と、約1ヶ月にわたり、職場からの離脱を余儀なくすることとなった。

 

 診察室を出て、処置室で点滴を打ち始めた後、血液採取や心電図の検査を受けるよう指示を受ける。点滴を支える棒を転がしながら採尿なども済ませるが、左腕がチューブにつながれた慣れない感覚。入院生活が始まったことを実感する。

   

 ただ、入院生活に入ったといっても、この時点では症状がほとんどない状態(10段階で1か2くらい)。

 

 入院生活は、点滴を1日4本流し、24時間中23時間は横になって過ごす生活。

とにかくやることといえば、本を読んだりネットを見ることくらいしかできない。枕の高さが高かったため、枕を外して、横になって過ごす。

 緑がかった薄青のカーテンに仕切られた6人一部屋の病室。左右に三台ずつ並べられたベッドの2台目になったため、まわりの景色も見えず、全てカーテンに囲まれている。普段はカーテンを全て開いているイメージがあったが、全てカーテンで仕切られており、時折、テレビから漏れてくる音や、放屁の音が聞こえてくるのみの静寂な空間。

 

 定期的に看護師さんが点滴を交換したり、様子を見に来たりする。それ以外は毎朝一回の体温、血圧、脈拍、瞳孔のチェックのみ。妻から入院前に、「入院中は食事くらいしか楽しみはないよ」と言われていたが、まさにその通り。気がつけば、1日三回の食事の時間のみを目標に、とにかく安静と言われているため、ベッドに横になって暗澹たる気持ちで過ごす。

 

 病院の夜は長い。

 となりの人のいびき、放屁だけならまだよいものの、廊下の向こうから聞こえてくる叫び声。常に一定間隔でフクロウのように鳴き続ける機械音。時折入ってくる救急車。たまにけたたましい音でアラート音も流れる。眠ろうと思っても中々眠れない。不安とともに入院1日目の夜がふけていく。